山田 邦彦さん・麻稀さん

邦彦さん
1980年生 兵庫県出身

麻稀さん
1992年生 岐阜県出身

フランク(愛犬)、2021年7月に第一子が誕生。

300件以上の酪農家の現場を見てきて

邦彦さん:就農は10年遅いって周りからは言われてましたね。大学を卒業してから20代、30代の20年の間に、道内あらゆるところの牧場で働いてきました。300件は行きましたかね。だから、新規就農といえども、仕事に関してはもうベテランです(笑)。酪農のやり方や考え方はそれぞれ違っていて、とても勉強になりました。

元々動物は好きでしたが、それほど牛に興味があったわけでなく畜大に入学しました。牧場実習もあって、ファームステイの際にはすごく忙しく朝から晩まで働いているところでした。でも、視察旅行で行った中標津町の酪農家が放牧酪農をしていて、「これならいいな!」と思えたんです。自分がいざ就農するとなった時も、色々見てきた中でもやっぱり放牧酪農のスタイルが一番理想的でした。仕事に忙殺されないように、人も牛も無理なくいられるように、そう考えてました。牧草の管理や収穫作業、搾乳に関しても、基本は『一人でもやれる酪農』が目指すところです。

自分で設計したアブレストパーラー

邦彦さん:パーラー内のホールディングエリアは本来牛を追うだけのスペースなのですが、そのまま餌やりから搾乳までひとつの施設で完結できるように設計しました。一度牛を集めてしまえば、あとは順に出入りして搾るだけなので、手間も時間も最小限で済みます。現在搾っているのは、町内の搾乳中止農家からそのまま買い取った20頭ですが、牛舎を新築中で、それができたら倍になる予定です。

就農を決めてから3年間は場所が見つからなかった

邦彦さん:南十勝ヘルパー組合に所属していた時に、「就農してみないか」と声をかけてくれたのが広尾町でした。新規就農者も多くいる土壌がありましたし、酪農のやり方についても、こちらがやりたいことを聞いてくれる風土がありましたね。就農希望を出してから3年間待ちましたが、土地や施設があっても住居がないなど、すべて揃うことはなかなかないですね。ここも住居はありましたが多少リフォームしましたし、牛舎や搾乳施設、設備関連はリフォームしたり新築したりして始めました。実際に就農できるまでには数年かかることもあると考えていたほうが良いかもしれませんね。

妻の麻稀さんは北海道の酪農に憧れて移住

麻稀さん:私は牛が好きで、広い北海道の大地に憧れていました。十勝へは家族旅行でも来たことのある、北海道らしい場所だなと思っていました。7年前に新得町のレディースファームで1年間の研修を受けたあと、南十勝のヘルパー組合へ。その時に上司だったのが今の夫です。2020年8月に結婚した時には、就農の話も決まってました。ここの良いところは、やはり景色ですね。広くて自然がたっぷりで癒やされます。

ただ、現在妊娠中で、産婦人科の病院へは毎回帯広まで行かなくてはいけないので(車で片道1時間半)、そういった点では、今後子どもが育つ中で心配なことはあります。地域の交流会などはコロナ禍(2021年現在)なこともあり、現在はあまりありませんが、長くヘルパーをしていたので、新得町や南十勝の酪農家さんなど、知っている人が周りにいるので安心できます。

家族と共にこの地でゆっくりと

邦彦さん:実は両親が2021年の5月に兵庫の実家を整理して移住してきました。最初は2拠点生活でも良いかと思ったのですが、思い切ってのことです。こっちでは今のところんびり過ごしています。

7月に子どもが生まれたこともあり、母には家事や育児サポートを、父には牛舎の仕事を手伝ってもらえばと思っています。搾乳は朝5時と、夕方の4時から。その間牛たちは広い放牧地でのんびりと過ごしています。牛も人も適度に働き、適度に休めるような「幸せに生きられる酪農」を目指してこれからも家族と共に過ごしていきたいと思っています。

企業情報

【就農まで】
2000年 邦彦さんは帯広畜産大学進学のため十勝へ
2004年 卒業後 畑作の法人に就職
酪農部門を立ち上げる予定で道内中の牧場で実習。その後その計画が頓挫し、退職。
道内牧場での実習やヘルパー組合に所属するなどして過ごす。
2010年~2016年 南十勝ヘルパー組合に所属。その間、妻と出会う。
2017年~2019年 広尾町での就職を決意。3年間は就農先が見つからず実習を積んで過ごす
2020年11月30日 現在地で就農開始

【運営形態】
酪農形態…放牧酪農、アブレストパーラー
経営面積…43ha
飼育頭数…22頭(牛舎建設後、45頭程度の予定)

その他のインタビュー見る
経験者からのインタビューを掲載しています。